先日、車で1時間から2時間くらいかけて友人が遊びに来てくれたのですが、どこか申し訳なさを感じてしまう気持ちがありました。

 

時間やお金をかけて訪れてくれるのは、本当にありがたいのですが、僕自身が勝手に感じる申し訳なさを補償するために、いろいろと与えようとするのです。

 

与えることは良いことなのですが、何かを補償するために与えるという動機は、ちょっとしんどいですよね。

 

そんなときは、与えることより、受け取ることが大切なのかもしれません。

 

そう言えば、小学生くらいのころでしょうか、親から何かを買ってもらったときに

「これで、勉強も頑張れるよね」

的なことを何気なく言われて、

「何かしてもらったら、何か返さなアカンねや」

と思ったことがあります。

 

『鶴の恩返し』や『浦島太郎』など、ほかの童話やドラマなんかでも

「施されたら、施し返す!恩返しです!」

と教わっていましたから、特に嫌な気をするわけでもなく、

「何かお返しが出来ればいいな」

と思っていました。

 

しかしながら、裕福な家庭ではなかったのと、親の体が不自由だったので、何か買ってもらったり、何かしてもらったりすると

「相手に無理や我慢をさせてしまっている」

という感覚を感じていました。

 

無理や我慢をさせてしまった、と感じると

「いやいや。そこまでしてくれなくて大丈夫です」

と、相手の好意を受け取れないどころか、「申し訳ない」と罪悪感を感じてしまいます。

 

確かに多少の無理や我慢があったのかも知れませんが、何かしてあげたいという気持ちの方が大きいからこそ、親は僕に何かしら尽くしてくれていたのだと思います。

「無理や我慢」ではなく、それより大きな「おもいやり」の方に意識を向けたほうが良いですね。

 

逆の立場で考えてみるとどうでしょう。

相手の笑顔が見たくて少し頑張って何かプレゼントしたとします。

しかし、

「そんなに頑張ってもらって申し訳ないです。嬉しいですけど、悪くて受け取れません」

と、相手に受け取ってもらえずに罪悪感を感じて凹まれると、悲しくなってしまいますよね。

せっかくの好意を踏みにじられたように感じて腹も立ちません?

 

たとえ、相手の好意を受け取ったとしても、何か返さないといけないと思って、気を使い過ぎてしまっては、「重たい」と感じさせてしまうのではないでしょうか。

 

仕事でも、友人とでも、パートナーシップでも、相手に何かしてもらって、お返しをしないといけないと思うなら、うれしそうに喜ぶ姿を見せることが最高のお返しになるのではないでしょうか。

 

それだけの価値を、相手はあなたの笑顔に見出しているわけですから、「ごめんね」ではなく「ありがとう」と、相手の好意とあなた自身の価値を受け取ってあげてくださいね。